travel jordan kite site
謎の「地上絵」!?
数年前、ヨルダンの「砂漠の地上絵」が話題になりました。地上絵といえばペルーのナスカが有名ですが、まったく別の古代遺構です。東部の砂漠を中心に隣国シリアやサウジアラビアまで分布しており、なんと総数が数千に上ると見られます。
![ヨルダン地図 カイトサイト](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/jordan-map-kite-site.jpg)
話題のきっかけはネットの衛星画像ですが、実は1927年にイギリス空軍のパイロットがすでに発見しており、パイロットが名付けた「カイト・サイト」が通称になっています。しかし、いまだ本格的な調査が行われていないためすべてが謎に包まれています。
これら遺構は形の違いから2種類に分けられます。
ひとつが「車輪(Wheel)」で、円形の外郭と内部に複数セル(cell)を持った車輪状の形です。単体の場合もありますが数個から10個前後が連携した幾何学的な配列もあります。
![](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/no2-wheels-site-alti700m-1024x705.jpg)
二つめが通称にもなっている「カイト(Kite=凧)」です。空に舞う凧のような多角形や星形の「頭」と、そこから末広がりに伸びる複数の線、すなわち「足」で構成されています。ときに全長2kmを超える大きなものです。
![](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/no3-kite-site-alti1300m-1024x718.jpg)
首都アンマンから東に100km、オアシス町アズラクを目指します。広範囲に点在する遺構は、ほとんどが砂漠の真ん中にあり単独行は不可能です。幸い衛星画像でアズラク周辺にも遺構が認められ、GPSを頼りに訪れることにしました。
![砂漠の道路 ヨルダン アズラク](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035170.jpg)
車輪
最初に訪れたのはアズラク北東6kmにある「車輪」です。国道から数百mの場所にあります。この大地は砂漠というより「礫漠」で、大きさ数十cmの黒玄武岩で覆われています。遺構はこの玄武岩を積み上げた外郭と内部セル、そして石塚の複合体でした。
![カイトサイト 礫漠 砂漠 玄武岩 ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035157.jpg)
次に訪れたのは町の北西に位置する「複合車輪」です。衛星画像では、周囲に人工物が無く状態が良さそうでした。町から直線6kmほどですが、礫漠を避けるため迂回しなければなりません。車で未舗装を10km走り、湿地と礫漠を徒歩で進みます。
![カイトサイト 砂漠の遺跡 玄武岩の囲壁 ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035206.jpg)
GPS片手に礫に足をとられながら進むと、最初の「車輪」とは比較にならない見事な遺構に到着しました。石壁が高く石塚も良好に残っています。衛星画像のとおり、径5~10メートルの楕円形セルが連続しています。興味深いことに、石塚の一部は内部が空洞で、中には巻貝の化石が大量に散乱していました。
![カイトサイト ケルン ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035198-771x1024.jpg)
罠
次の日はアクセス困難な「カイト・サイト」を訪れました。
町の北東40kmの砂漠の真ん中です。衛星画像で国道を逸れてサイト近くまで伸びた「線」を見つけたので、おそらく「道?」であろうと判断して進むことにしました。
イラクへ続く国道を30km進むと、予想したとうり目的へ向かう道を発見しました。しかし礫漠の凸凹道は酷い振動で、車は分解しそうに軋み身体の骨までガタガタです。かれこれ1時間かけてやっと13km進んで行き止まり、目的地までは残り4kmです。思い切って礫漠を縫うように荒地を進み、やっと目的の座標に到着しました。
![カイトサイト 砂漠の遺跡 玄武岩 ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035213.jpg)
「カイト」も同じく石壁と石塚の複合体で、もちろん地上からでは「凧型」は分かりません。それでも地平に続く石壁は、おそらく「足」であると分かります。
実は「カイト」の正体は、古代狩猟民の動物捕獲用の「罠」であるといいます。
大昔サハラ砂漠は草原だったといいますが、それは地球が温暖だった1万~6000年前のことで、時期は前後しますが西アジアにも湿潤期があり、かつてこの砂漠には湿地や草原が広がっていたのです。前述の巻貝の化石も証拠のひとつです。当時は野生動物の宝庫で、この巨大な「凧罠」は動物を「足」の石壁沿いに追い込んで、狭い「頭」部分で捕えたのです。つまりこの構造は漁業の定置網に似ているのです。
![カイトサイト 砂漠の遺跡 玄武岩 ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035244.jpg)
それにしても「凧」の大きさには驚くばかです。「足」の長さが2キロ以上で、「頭」の径が100メートルを越えるサイズもあります。これらは高さ1メートル以上に積んだ石壁ですから、造営には途方もない労働と時間を要したでしょう。
衛星画像ではこの付近は「凧」の密集地帯で、約20キロ四方に20基以上が確認できます。
相当規模の集団が、長期にわたって構築したのでしょうが、にもかかわらず歴史記録に残っていないという不思議。
まさに古代の謎ですね。
![アズラク 古城 砂漠の遺跡 玄武岩 ヨルダン](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/KAK14_035274.jpg)
参考 月刊ムー2015年5月号「アラビア半島に描かれた地上絵カイトサイト」 写真・文 鈴木革
![](https://kakusuzu.com/wp-content/uploads/2023/03/copyright-logo-3.jpg)
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