アレクサンドロスの旅 19 クサントスの空中石棺 トルコ

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey xanthos turkey アレクサンドロス大王の東征

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます

前334~333年の真冬

アレクサンドロス大王東征記」には、『(マケドニア軍は)クサントス川を渡ってピナラ、クサントス市、パタラをはじめ、およそ30に上る小都市を占領した』と短い記述が残るだけです。
しかしクサントスは世界遺産に指定される重要なリュキア遺跡で、アクセスが少々不便ですが訪問する価値は十分あります。

小アジア 西側 トルコ
小アジア西側地図 マケドニア軍のルート クサントスの位置

クサントスとはギリシア語の地名で、リュキア語では「アリンナ」と呼ばれていました。
紀元前1200年頃に都市ができたといわれ、古代ヒッタイトの記録にも名前が見える古い町です。
遺跡は海岸から8kmほど内陸の、クサントス川(現エセン川)東岸の小さな丘の南に位置し、大劇場やアゴラなど公共建築が並んでいます。

クサントス遺跡 丘上か見る劇場と市中心部 地平に地中海が見える
クサントス遺跡 現地案内板
北端が丘上 右の囲み線がネクロポリス 左2点は劇場とアゴラ

まず最初に驚かされたのは、大劇場にある2棟の塔墓です。

初めてクサントスを訪れたときは、遺跡全体を眺望するため大劇場の客席の最上段に上がりました。
ここは劇場越しに、先述の小丘を背景として市街全域が視野に収まるビューポイントです。
劇場左手に気になる2棟の小塔が見えましたが、はじめは何の構造物なのか分かりませんでした。

クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 劇場 画面中央近くに2塔 右奥が丘上

劇場を降りて塔に向かうと次第にはっきりして、なんと最上部が石棺であることが分かります。
見たこともない形状なので、当初は墓であるとは思いもよりませんでした。
リュキア墓との初対面でした。

クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 劇場わきの2棟の塔墓
クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 劇場わきの塔墓 石棺の四面に浮彫 高さ9m近い

「塔墓」は、みなさんご存じかもしれません。ちなみに画像検索すると、立派な石塔が建つ日本の墓がヒットします。ついでに「tower tomb」で検索すると、もちろん海外の墓や遺跡がヒットします。しかし両者に共通するのは、塔型であっても墓室は地下にあるということです。
ですから石棺が上に載った塔墓は、かなり奇想天外な建築といえます。

勝手な推測ですが、死者のために劇場の特等席を用意した粋な計らいでしょうか?

クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 上部が無くなった塔墓 碑文が刻まれている

劇場を離れて市街を歩くと、地上に置かれた重厚な石棺を見かけます。すべて巨石削り出しの、分厚く大きな棺です。想像をたくましくするなら、劇場の塔墓や市中の石棺は、日本の屋敷墓地に近いかもしれません。

クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 アゴラ付近の石棺 奥に劇場の2棟の塔墓

さらなる圧巻が丘の東側の斜面に位置するネクロポリスです。日本でいえば霊園です。
ここには並外れて見事な石棺や岩窟墓、また2種類が融合した大型墓などがあります。
ネクロポリスは藪に覆われて、棘々の草木もあってワイルドな見学路ですが、次から次に現れる見事な巨石削り出しの石棺・岩窟墓に魅了されます。

クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 ネクロポリスのライオン・レリーフの石棺
クサントス遺跡 リュキア トルコ xanthos lycia turkey 
クサントス遺跡 ネクロポリスの巨大墓 塔墓と岩窟墓の複合建築

「アレクサンドロスの旅」を始めた頃、初めてクサントス遺跡に導かれ、見たことのない光景に魅了されました。「アレクサンドロスの旅」は、こうして「隠れた一級品」に出会える旅でもあり、いつも新鮮です。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス