15. ミレトス 消えた海 トルコ

alexander アレクサンドロス大王
ミレトス 大劇場 トルコ

alexander’s journey milet turkey アレクサンドロス大王の旅

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます

前334年夏。アレクサンドロス大王は港湾都市ミレトスへ進軍しました。
ミレトスの「外市」はすでに放棄されており、ギリシア軍はここに陣を張って「内市」を睨みます。

小アジア エーゲ海 地図 アレクサンドロス大王
アジア上陸後、マケドニア軍が進んだ主な場所 大きな丸印がミレトス

一方、洋上では160隻のギリシア艦隊がミレトス港に到着。陸海から「内市」を挟む陣容になりました。

遅れること3日後に、ペルシア艦隊400隻が到着しました。夢に吉兆を見たパルメニオン将軍は海戦を勧めますが、珍しく冷静な大王は自軍艦隊の劣勢を判断して、港の封鎖に専念しました。

古代ミレトス 想像復元図 トルコ
ミレトス遺跡の案内板複写

上図:古代ミレトスの想像復元図。斜線の大きな湾の南縁に飛び出す小さな岬を利用した港湾都市。大劇場は南西向きで、小さな入り江に面していた。岬の北側に深い入り江があり、古代ミレトス港となっていた。

作戦は成功してミレトスは陥落、補給を絶たれたペルシア艦隊も退散しました。その後大王はギリシア艦隊を解散して、陸路でのペルシア討伐を決断しました。優秀なペルシア艦隊も陸地では無用の長物で、こうして敵の土俵に立たなかった大王はただの無鉄砲者でもなさそうです。

ミレトス トルコ milet turkey
ミレトス遺跡 アゴラ付近 トルコ

丘の斜面に築かれた大劇場上段から見下ろす古代ミレトスの中心部。この辺りに二つのアゴラがあった。海抜が低いせいか、この時は水浸しだ。

ミレトスは歴史的な都市ですが、いざ訪問となると旅案内の悪さに翻弄されます。まず幹線道から離れており、当時は場所を示す案内板も皆無でした。近くに目標になる村もなく、散々車を走らせて田畑に浮かぶ大劇場を発見、やっとのことで辿り着きました。

ミレトス トルコ milet turkey
小丘に建つミレトスの大劇場

現在、艦隊が浮かんだ湾はすべて田園に変わっています。緩やかな河川の堆積作用が、2300年余の年月で海を埋め、ミレトスは10kmも内陸になりました。


自然地形を利用した大劇場。最上段でアッリアヌスの「東征記」を開き、かつての湾跡を眺めます。

ミレトス 大劇場 トルコ milet turkey
ミレトス 大劇場 地下回廊

ミレトスは西に開口した大きな湾の南の小岬に築かれています。この大きな湾も、現在はバファ湖を残すだけで陸地化しています。大劇場はその岬の西岸にあり、小さな入江に面した斜面に造られていました。ギリシア艦隊が投錨した港は、大劇場裏手の別の入り江だと思われます。

ミレトス 大劇場 トルコ milet turkey
ミレトス 大劇場

現在ではこれらすべてが田園になっており、「東征記」の記録がまるで幻のようです。
目前に広がる田園は、2300年の時の流れを物語っているのです。

感慨深いことこの上ありません

ミレトス 俯瞰 グーグルマップ
by google earth

上図:ミレトス遺跡と周辺俯瞰。不正確ですが、グーグルアースの標高を元におおよその古代の海を推定しました。青線が復元した海岸です。現在は内陸に取り残されたバファ湖が黒く見えるだけです。

次はアポロン神託で有名なディディマに寄り道します。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス