アレクサンドロスの旅 30 イッソスの戦い トルコ

İskenderun city alexander アレクサンドロス大王
turkey İskenderun city

alexander’s journey battle of issus turkey アレクサンドロス大王の東征

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
この中東を経てインドに至る旅を、21世紀に歩く

前333年10月。


重病が癒えたアレクサンドロスは、タルススを後に進軍開始。
地中海北東の最奥部、古代名「アマノス山脈(Nur Mountains, Turkish: Nur Dağları)」方面を目指す。

トルコ地図 地中街 turkey map mediterranean sea
●アンカラ ●はこれまでのマケドニア軍の経路とイッソス

アマノス山脈とは、前章のタウロス山脈から、南に200km延びた山塊であり、地中海沿岸部とシリア内陸部を分断している。現在、この沿岸には、アレクサンドロスが造ったイスケンデルン市が美しい佇まいを見せている。

イスカンダル?(Iskandar/Eskandar)
余談だが、大王が東征中に造った町は、彼の名前を取って「アレクサンドリア」と名付けられた。有名なエジプトのアレクサンドリアもそのひとつで、後に重要な国際都市に発展した。諸説あるが、「アレクサンドリア」は世界に約70ヶ所あるといわれ、東端は中央アジアにある。雑な説明で恐縮だが、「アレクサンドロスAlexandros」は、アラビア語やペルシア語にすると、最初のalが定冠詞とみなされ、結果、聞き覚えある「イスカンダルexandr」という名詞になる。したがって、イスケンデルンも、アレクサンドロス大王が造った町「アレクサンドリア」なのだ。

トルコ イスケンデルン市 地中海 turkey İskenderun mediterranean sea
イスケンデルン市 地中海のイスケンデルン湾

快進撃を続けるアレクサンドロスを迎え撃つべく、ペルシアのダレイオス3世が大軍を率いてバビロンを後にしたのは8月末のことだった。バビロンは現イラクに位置する古代メソポタミアの中心地で、旧約聖書で有名な「バベルの塔」の舞台として知られる。

トルコ地図 地中街 turkey map mediterranean sea
●イスケンデルン市 山が迫る●イッソスの合戦地 by google map 

ここで少し背景説明すると、古代ペルシア、すなわち「アケメネス朝ペルシア」は、前6世紀中頃に始祖キュロス2世が興した史上初の世界帝国である。その後、前5世紀にはダレイオス1世がさらに拡張して、アナトリア、エジプト、中東、中央アジア、そしてインドまで至る巨大な帝国になった。

イスケンデルン近郊 ローマ水道橋跡 トルコ remain of roman aqueduct suburb of iskenderun turkey
イッソスの合戦地近くの水道橋跡 田園の中に続く

世界史の有名なペルシア戦争は、その古代ペルシアとギリシアで行われた戦いで、そのなかには長距離マラソンの語源である「マラトンの戦い」も含まれている。アレクサンドロスの東征は、このペルシア戦争の報復が大義名分となっている。

さて東征のはじめ、ペルシア側はアナトリアの地方僭主やギリシア傭兵隊長のメムノンに、マケドニア討伐を任せていた。しかし、各地での連敗にくわえ、メムノン隊長の病死もあって、ついにダレイオス3世が重い腰を上げて、大軍を率いたのである。

イッソスの戦い ナポリ博物館 battle of issus mosaic Naples National Archaeological Museum
ダレイオス3世像 イッソスの戦いのモザイク画部分 battle of issus イタリアのナポリ博物館より

前333年11月。
紀元前世界でもっとも有名な合戦のひとつ、「イッソスの戦い」は、このイスケンデルンの北約20㎞程の古代ピナロス川(諸説あるが、現パヤス川)で起こった。この付近は、アマノス山脈が海岸にせり出した狭い傾斜地で、現ピナルス川は狭くて流れの速い渓流のような川である。

turkey mountains battle of issus イッソスの戦い トルコの山並み
イッソスの戦い 合戦地背後の険しい山々 この山の行き来で両軍が交錯した

川を隔てた南岸に約19000人のマケドニア軍、対する北岸には約72000人のペルシア軍という圧倒的な兵力の差であった。不思議なことに、西北から下ったマケドニア軍が南岸で、南東から上ったペルシア軍が北岸に陣取るという奇妙な展開になっていた。

あいにく合戦の詳細は本ブログの趣旨ではないので、ぜひ「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊著、を読んでいただき、謎の布陣になった経緯、「空前のすれ違い」や、戦闘の展開などを解いてもらいたい。

turkey battle of issus Pinarus River イッソスの戦い 古代パヤス川 トルコ
イッソスの戦い パヤス川流域 2005年当時 この川を挟んで両軍が対峙した

さて、大きな戦力の不均衡にも拘らず、連戦連勝の「喧嘩慣れ」マケドニア軍は、祖先の威光だけが自慢のペルシア軍をわずか一日で撃破。ダレイオス3世は、家族も置き去りにして敗走、みじめながらもその命を長らえた。

「家族連れ? ピクニックかよ?!」とダメだしされそうだが、これは当時の習慣で、おそらく絶対勝つという自信がさせたともいえる。

イッソスの戦い ナポリ博物館 battle of issus mosaic Naples National Archaeological Museum
有名なイッソスの戦いのモザイク画 battle of issus イタリアのナポリ博物館より

しかし、捕虜となったダレイオス3世の母や妻子に対して、アレクサンドロスは王族にふさわしい丁重な態度で接し、逆にその家族から信頼を得て、後世の語り草となった。

ところで、先述のように、古代ピナロス川の所在については諸説あって、現パヤス川をはじめ他2河川が候補に挙がっている。専門外の筆者は、唯一の資料であるアッリアヌスを読み返して、その地形を確認しつつ、海と山がもっとも迫っているパヤス川を推定した。

turkey battle of issus Pinarus River イッソスの戦い 古代パヤス川 トルコ
イッソスの戦い パヤス川流域 工業化著しい2009年当時

険しい山間部を抜けたパヤス川は、海までわずか4kmほど。仮に兵隊を1m毎に並べても、岸沿いに4000人しか並べない。つまりこの幅の狭さこそが、兵力で劣るマケドニア軍に味方したのではないか?

しかも2300年前の地形、つまりパヤス川の堆積作用を減算すれば、当時は海までの距離がもさらに近かったに違いない。(類似例として「アレクサンドロスの旅15」でも、海が陸地化したことを書いた。

ダレイオス3世像 先述イッソスの戦いのモザイク画より battle of issus イタリアのナポリ博物館より
アレクサンドロス大王像 先述イッソスの戦いのモザイクより battle of issus イタリアのナポリ博物館より

「図説アレクサンドロス大王」では、森谷氏は『わずか500mの範囲に万単位の兵力が集中したため、戦列を十分に展開できず、実際に相手と交戦する騎兵はごく一部』としている。おそらく両軍は、大人数が狭い廊下で争うような形になり、結果的にマケドニア軍に有利な展開になった。

現在、パヤス川には国道橋が架かり、付近には大型工場が建ち、煙突から黒煙が上がる風情のない景観である。しかし小川を挟んで行われた戦闘、そして川に流れた夥しい量の鮮血を想像すればまるで違った景色に見える。

turkey battle of issus Pinarus River イッソスの戦い 古代パヤス川 トルコ
イッソスの戦い イスケンデルン湾とパヤス川流域

幸か不幸か、この地に重なった長大な時間は、血の記憶を彼方に押しやり、国道を走る車中の人々や工場で働く人々は、おそらくそうした歴史を知ることなく日々の暮らしをしている。そのギャップさえも、各地におけるアレクサンドロス探しの面白味といえよう。

トルコ イスケンデルン市 地中海 turkey İskenderun mediterranean sea
イスケンデルン市 イスケンデルン湾

次はやっとトルコを離れ、一気にレバノンへ向かいます。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革

「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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