17.ボドルム ハリカルナッソスの攻城 トルコ

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey bodrum turkey アレクサンドロス大王の旅

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます

紀元前334年 夏。
ミレトスを攻略したアレクサンドロス大王はカリアに進軍、ペルシア勢力が集結する港湾都市ハリカルナッソスへ向かいます。カリアとはアナトリア南西部の古代の地名です。
この町にはグラニコス川で戦った宿敵、ギリシア傭兵隊のメムノン将軍も滞在していました。

小アジア西部 地図
小アジア西部 エーゲ海沿い これまでの経路とボドルムの位置

古代ハリカルナッソスは現在ボドルムと呼ばれ、エーゲ海に突き出た同名ボドルム半島に位置します。半島は山が連なる険しい地形で、半島のくびれ部分の南側入江に町が築かれました。背後が山の天然の要塞都市です。

ボドルム 港 トルコ bodrum port turkey
ボドルム市街遠望 左に見える中世の城砦の奥に市街とボドルム港がある 背後には山が迫る

ハリカルナッソスはBC900年頃に建設された古い町で、古代ギリシアの植民市として栄え、BC6世紀にペルシアの侵略を受けました。歴史家ヘロドトスの生誕地であり、また古代世界の七不思議のひとつ「マウソレウム」が建つ場所として有名です。

この堅固な都市で長期攻囲戦を想定したアレクサンドロスは、町から1kmほど離れた本土側に陣を布きました。敵は籠城作戦ですが、港にはペルシア艦隊が控えており、戦力追加や物資輸送も万全でした。

ボドルム マウソレウム廟 トルコ bodrum turkey
古代世界の七不思議 マウソレウム廟

それでも度重なる攻城戦で、マケドニア軍は次第に城壁を破壊してゆきます。面白い逸話として、二人の酔っぱらいマケドニア兵が互いに自分の勇敢さを自慢、それを競うあまり酔ったまま二人で攻め入った話があります。結局これが引き金になり戦闘が始まり、マケドニア軍はかなり攻め込んだようです。酔っ払いの生死は不明ですが、この呆れた逸話はかえって史実のように思えます。

こうして城壁は破壊され、敵の抵抗にも陰りが見え、メムノン将軍はハリカルナッソスを見捨てて逃亡しました。

ボドルム 市街 港  トルコ bodrum turkey
古代ハリカルナッソスの城壁跡付近から見るボドルム

「東征記」を読んでからボドルムに訪れると、歴史記録との落差に驚きます。戦闘場面で埋まるハリカルナッソスは、現在観光都市ボドルムとなって息を呑むような美しさを見せています。

港は豪華なヨットで真っ白に埋まり、紺碧の海に映えています。その林のような帆柱の合間から、中世の要塞が格好良く見えています。
家並みも清々しい白一色で、海岸通りには洒落たレストランが軒を連ねます。夕暮れ時、移ろう色彩を楽しみながら散歩するもよし、もちろんオープン・テラスでの食事は贅沢の極みです。

ボドルム 港 古城 トルコ bodrum turkey
ボドルムの中世の城砦 ヨットハーバーの帆柱が林立

景色に見とれていると、まるでギリシアの小島のような錯覚を覚えます。否、確かにここもエーゲ海。古代ギリシアと同じ文化圏ゆえ、当たり前と言えばそれまでですが。

想像もしなかった美しい都市の佇まいで、土臭い遺跡巡りの旅に何か脱力感力でした。

ボドルム 港 トルコ bodrum turkey
ボドルム 港

さてアレクサンドロスは、ギリシアに復帰したカリアの支配権を女王アダに委ねます。
アダはカリア王であった実兄イドリエウスの妻で、夫の遺言から王位を継いでいたのですが、もう一人の兄ピクソダロスから王位を簒奪されていました。巧妙なアレクサンドロスの采配に、アダは養子縁組を申し出たと伝わります。
なお当時のカリアでは、エジプトまたはイランの影響で、王族の兄妹婚は慣習でした。その背景には、権力の散逸を防ぐ目的があったとも言います。

次にアレクサンドロスはリュキアを目指します。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス