26. ゴルディオン ゴルディアスの結び目 トルコ

alexander アレクサンドロス大王
gordion turkey

alexander’s journey gordion turkey

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てインドにいたる旅を21世紀に歩きます

前334~333年の冬

サガラッソスを発ったマケドニア軍は、冬営地のゴルディオンに向かいます。ゴルディオンは古代フリュギアの首都で、現首都アンカラの南西約80kmに位置しています。この場所では前三千年紀末に居住が始まり、ヒッタイト新王国時代(BC15~BC12世紀)、さらにフリュギア時代(BC12~BC8世紀)の層の重なりが確認されています。

ゴルディオン アナトリア 地図 トルコ gordion map turkey
大●はゴルディオン は首都アンカラ 小●はマケドニア軍の経路

アレクサンドロスの時代には、伝説の「ゴルディアスの結び目 Gordian knot」が残っていました。これはフリュギア王が残した複雑難解な縄結びで、 これを解いた者がアジアを支配するといわれていました。アレクサンドロスも解くことができなかったのですが、短気な彼は剣で両断して、結局アジアを征服することになったため、現代に伝わる有名なゴルディオンの伝説になりました。

アナトリア高原 国道 トルコ national road anatolia turkey
アナトリア高原の穀倉地帯 National road at anatolian plateau

ゴルディオンには2回訪れましたが、2005年の初回は前記事サガラッソスと同じく苦労して辿り着いた記憶が残っています。アンカラから近くの地方都市ポラトル(人口約13万人)までは立派な国道が通っていますが、ポラトルより先は案内標識もなく、変化のない田園風景の中でぐるぐると迷子になってしまいました。

ゴルディオン 円形墳墓群 トルコ gordion tomb tumulus turkey
ゴルディオンの墳墓群 Gordion Tumulus(tombs)

今あらためて調べると、ゴルディオン遺跡はポラトルの北東約15kmにあり、衛星画像で確認しても付近は変化のない田園地帯で、おまけに細かく農道が入り組んでおり、迷子になるのも仕方がなさそうです。

ゴルディオン トルコ gordion turkey
ゴルディオンの衛星写真 Gordion satellite (tombsby google earth)

上写真:ゴルディオン周辺の衛星写真 ゴルディオン遺跡は左上寄りのマーク 最寄り町ポラトル(右下マーク)の北東に位置するが、変化のない田園で遺跡の場所が分かりにくい

それでも遺跡はなかなかの見物で、苦労して辿り着いた甲斐があります。あいにく都市遺構は基礎部分が残るだけで「いかにも発掘現場」といった体ですが、ランドマーク的な円形墳墓はそれまで見たこともない遺跡でした。

ゴルディオン 円形墳墓群 トルコ gordion ruins tomb tumulus turkey
ゴルディオンの遺構と墳墓群遠望 Gordion ruins and Tumulus(tombs)

ゴルディオンの墳墓は約100カ所あり、最大の「墳墓MM」は直径約300m、高さ50mで当時アナトリア最大の大きさを誇っていました。この墳墓は便宜上「ミダス王の墓」と呼ばれていますが、一説ではミダス王の父であるゴルディアス(ゴルディオス)の墓であるともいわれます。

ゴルディオン ミダス王墓 墳墓 トルコ Gordion Midas tomb turkey
ゴルディオン ミダス王墳墓 Gordion Midas tumulus

外観は過去記事のトラキア墓と似ているのですが、内部は巨木を組んだ木造で、残存状態が非常に良く、まさに世界唯一の遺産です。ちなみに使用された木材から、墳墓の建設年代は紀元前740年頃と見積もられ、このような壮大な建築が紀元前8世紀に行われていたこと、それが現代まで残されていることに驚かされます。

ゴルディオン ミダス王墓 墳墓 トルコ Gordion Midas tomb turkey
ゴルディオン ミダス王墳墓 内部 Gordion Midas tumulus

「東征記」にゴルディオンにおけるマケドニア軍の様子の記述はないのですが、様々な伝説が伝えられています。とくにアレクサンドロスが「結び目」を解決する場面は面白いので原文を抜粋します。

ゴルディオン 円形墳墓群 トルコ gordion ruins tomb tumulus turkey
ゴルディオンの遺構と墳墓群遠望 Gordion ruins and Tumulus(tombs)

『さらに次のような話も伝えられていた。つまり誰であれ、この荷車の轅(ながえ=馬車の前方に長く出た二本の棒)の結び目を解いた者は、アジアを支配する定めにある、というのだ。轅を結わえた紐はミズキの樹皮で、その先端は元も末も結び目のうわべには見えなかった。アレクサンドロスは結び目を解きほぐすすべを見つけだすことができず、さりとてほどけないまま放置するのも、民衆に何らか不穏な動きを引き起こしはしないかと思われたので、一説によれば彼は剣で斬りつけて結び目をばらばらにし、これを解いたと伝えられている』 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアヌス著

ゴルディオンの墳墓群 Gordion Tumulus(tombs)

いかがでしょう? アレクサンドロスの性格の一部がうかがわれそうではありませんか?
ちなみにこの伝説は2300年の時を越えて、「cut the Gordion knot」すなわち「力ずくの難問解決」という諺として生き残っています。

ゴルディオンで冬営したマケドニア軍は、次にアンカラに向かいます。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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