alexander’s rose valley bulgaria アレクサンドロス大王の旅
紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシアの討伐に出ました。
ギリシアから中東、エジプトを巡り、中央アジアやインドにいたる旅です。
その旅を21世紀に復元して、彼が見た風景を探します。
紀元前335年春。トラキア討伐のため、フィリピから北進したアレクサンドロス大王は、『メスタ川を渡った』と短い記録が残っています。
メスタ川はブルガリアのリラ山地から発し、ギリシアを流れてエーゲ海に注いでいます。
しかしマケドニア軍の足跡は特定できず、メスタ川の渡河地点は不明です。
史料ではマケドニアを出発して10日後に、大王と軍はバルカン山脈にたどり着いたとあります。
バルカン山脈はブルガリア中央部を東西530kmに連なり、国土の南北を分断する大山塊です。
大王の通過点は特定されていませんが、南麓には有名な「バラの谷」があり、トラキアの墳墓が残っていますので訪れてみました。
ブルガリアの観光案内に必ず登場するのが「バラの谷」です。
中央バルカン山脈の南には平行して細長い谷間があり、世界的な香料用バラの産地になっています。
もっともバラ栽培が始まったのはオスマントルコ時代で、大王が香りを楽しんだわけではありません。
しかし付近にはトラキア王墓が点在しており、特に中心地カザンラク市の墳墓は世界遺産に登録されています。
この墓は美しい壁画で有名ですが、狭い墓室内に大勢が入ると壁画が劣化するため、オリジナルを模造した見学用のレプリカ墓が博物館になっています。
確かに館内には訪問客が多く、この人数が墓室に入れば壁画への悪影響は必須です。
墓室はドーム天井になっており見事な壁画に覆われています。
しかし劣化対策のためにコーティングされたのでしょうか、表面反射がひどくいかにもレプリカ感が免れません。
そこで思い切って係員に訊ねると、実は(2008年当時)特別料金でオリジナル墓も案内できるといわれました。
少し驚くほどの高額料金を支払うと、係員が大きな鍵束を持ってオリジナル墓へと導いてくれました。
レプリカ墓に隣接するオリジナル墓は、入口になっている新設の地上部分が物置小屋のように建っているだけの外観です。正面には頑丈な鉄扉があり、厳重に施錠されています。案内人が鍵を開けている間、大いに期待が高まります。
そして案内された墓室は、当たり前ですがレプリカと同じ構造で同じ絵が描かれています。
しかしその絵の出来栄えが、あまりに違って思わずため息が出ます。
まず色の濃度が軽く爽やかで断然に明るいイメージです。しかも色合いは鮮やかで、各色が際立っており、それぞれ説明ができない複雑な発色です。名も知れぬ古代の天才画家の、秀でた力量が展開しています。
もちろんレプリカ墓の訪問客も満足そうでしたが、オリジナルを見てしまうとあまりの違いに驚くばかりです。
それは有名絵画の原画と、印刷された複製との違いであり、価値ある原画を間近で見るという経験に、高額料金にも納得しました。
マケドニアから蛮族とされたトラキア人ですが、こうして墳墓の造営やその芸術を見るに、机上では知りえない文化や歴史をあらためて知りました。
次はバルカン山脈を越えます。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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