3. ペラ遺跡 故郷の町 ギリシア

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey pella greece アレクサンドロス大王の旅

紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発。
ギリシアから中東、エジプトを巡り、中央アジアやインドにいたる旅です。
その旅を21世紀に復元して、彼が見た風景を探します。

アレクサンドロス大王の故郷を訪れます。

ギリシア テッサロニキの西約40kmに、古代マケドニアの首都ペラがあります。
紀元前356年、アレクサンドロス大王はこの地において、父フィリッポス2世と母オリュンピアスの間に生まれ、幼少期から少年時代までを過ごしました。

黄色はペラ 赤はアテネとテッサロニキ 青い地帯が古代マケドニア

父フィリッポス2世は独自の軍事改革と、天性の政治力でマケドニア王国をギリシア随一の強国にのし上げて、後々の大王の偉業の基盤となる国家を造りました。
それまでマケドニアは、「ギリシア世界の一員」と自負していたのですが、他の有名なポリス(都市)からは「辺境、蛮族」と蔑まれていた田舎の国家に過ぎなかったのです。

一方、母オリュンピアスは政略結婚でフィリッポス2世に嫁いだ隣国の王家出身でした。
しかし大王を出産したものの、夫との関係はよくなかったようで、怪しい宗教に傾倒していたとか、さまざま謀略に関わったという逸話も残っています。

ペラ遺跡全景 右側は現在のペラ村

ペラの遺跡は、のどかな田舎の美しい丘陵の麓にあります。
テッサロニキから西40kmの主要道沿いにあり、道路からも列柱が並ぶ遺跡が見えます。

現在の整備区画は南北500m、東西300mですが、建て直した列柱のほかはモザイク床が残るだけで、敷地のほとんどは雑然とした発掘現場で、観光地としての魅力には欠けます。
大王の名声を思えばむしろ簡素な王都で、拍子抜けというより「がっかり」というほうが正しいでしょう。
ただ遺跡併設博物館には重要な展示品があり、なかでも有名な「ライオン狩り」のモザイクは必見です。

ペラ博物館 ライオン狩りのモザイク 左側が少年時代のアレクサンドロス大王ともいわれる

遺跡の背後の緩やかな丘に、閑静な民家が並ぶ美しい村があります。
ふもとから登ると、わりと新しい「騎乗の大王像」が置かれており、訪問者を少しだけ元気づけてくれます。

ペラ村にあるアレクサンドロス大王像

村を散策すると所々に古代遺構が露出しており、おそらく村の地下はほとんどが遺跡なのかもしれません。
ギリシアでは現代の町が遺跡の上に建っていることが多く、ペラもそうした村なのかもしれません。

歴史に残る大王の物語は、ほとんどが王位継承以降のもので、少年時代の記録はわずかです。
そのなかで注目されることは、父フィリッポス2世が子供たちの家庭教師として、当代随一の学者であったアリストテレスが招聘されたことです。

アリストテレスは古代世界のみならず、現代においても多様な業績が評価されており、哲学者としてだけではなく動物学でも並外れた研究を残しています。
アリストテレスのマケドニア滞在は紀元前342年、大王が14歳の頃に始まり、その後の即位から遠征の旅に出るまで7年間を過ごしています。
利発で多感な少年が、「知の巨人」から受けた影響が計り知れないものであったことは容易に推察できます。

遠征先の大王が、各地の動植物サンプルを恩師に贈り続けたと記録されており、ここに親密な師弟関係が見えます。

ペラ博物館 アレクサンドロス大王の頭像

これから展開する物語にも、好奇心旺盛な少年が天才学者から受けた影響が、それとはなく匂うシーンが幾度も登場します。

次はマケドニア王国の古都ヴェルギナを訪れます。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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