アレクサンドロスの旅 4 世界遺産ヴェルギナ ギリシア

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey vergina greece アレクサンドロス大王の東征

紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発。
ギリシアから中東、エジプトを巡り、中央アジアやインドにいたる旅です。
その旅を21世紀に復元して、彼が見た風景を探します。

アレクサンドロス大王の故郷、マケドニアの古都を訪れます。

ヴェルギナはアレクサンドロス大王の父フィリッポス2世の墓が見つかった場所で、ペラの南南西35km、テッサロニキからは西南西55kmに位置しています。

こはマケドニア王国の最初の首都で、当時はアイガイと呼ばれていました。紀元前5世紀末に首都がペラに移転されたあとも、重要な儀式が行われたり、歴代の王が埋葬された神聖な場所でした。

赤はアテネとテッサロニキ 黄色がヴェルギナ 薄い青が古代マケドニア

1977年に発掘された3基の墓のひとつが、父フィリッポス2世のものであると発表されて大騒ぎになりました。
現在も被葬者の特定に関しては論争が続いていますが、いずれにしてもマケドニア王国の重要な遺跡です。

閑静な村の中心に、フィリッポス2世の墓とされる大墳丘があります。
直径110メートル前後のいびつな円形墳丘で、目測ですが高さが10メートルに満たない低い丘です。

地下には4基の墓室が確認されており、現在は地下空間を活かした博物館になっています。墳丘のふもとに出入口トンネルがあり、その中に入ると大ホールが開けており各墓室へと続いています。外観からは想像もつかないモダンな博物館で、古代の墓室と現在建築の調和に感心します。

ヴェルギナ ギリシア vergina greece
ヴェルギナ円形墳墓 現在は博物館でトンネルが出口付近

あいにく内部は撮影禁止で紹介できないのですが、フィリッポス2世の墓と云われるのが第2墓室で、ひときわ立派な構造で確かに父王として納得のいく出来栄えです。
繰り返しになりますが、いまだ被葬者は特定されておらず、今後のさらなる研究が期待されます。

墳丘の南約1キロメートルに、古代アイガイの王宮跡があります。
ヴェルギナの南に広がっている山地のふもとで、マケドニア平原が一望できる王宮にふさわしい場所です。

円柱の台座が並び区画が判別できるだけの地味なものですが、北側には円形劇場が隣接しており、ここは歴史的な事件の舞台だったのです。

紀元前336年初夏、円形劇場ではフィリッポス2世の娘で、大王の妹でもあるクレオパトラの結婚祝典が催されていました。この宴の真っ最中に、なんと護衛兵がフィリッポス2世を刺殺したのです。以下にその情景を引用します。

ヴェルギナ ギリシア vergina greece
フィリッポス2世の暗殺された劇場跡

『満場の観衆が見守る中、白衣をまとったフィリッポスが劇場入口に姿を現した。左右には二人のアレクサンドロスを伴っている。息子のアレクサンドロスと、花婿であるモロッソイ王のアレクサンドロスである。マケドニア人の朋友たちは先に入場して王の着席を待っている。王のすぐ後ろには側近護衛官たちが従った。フィリッポスは振り向いて、側近護衛官たちに自分から離れてついて来るように指示した。自分の威信も世人から受ける信頼も、もはや護衛を必要としないほど大きいということを示したかったのだろうか。ただ護衛官の一人パウサニアスだけは王から遠ざかろうとせず、入口の門のそばに立ったままだったが、フィリッポスはそれに気づかなかった。それから王が玉座に向かって歩み始め、二人のアレクサンドロスからすこし離れた一人だけになったその瞬間、パウサニアスは素早く王のそばへ駆け寄り、懐に隠し持っていた短剣でフィリッポスの胸を刺し貫いた。フィリッポスは大の字になって地面に倒れた。』(森谷公俊著「アレクサンドロスとオリュンピアス」ちくま学芸文庫)

ヴェルギナ ギリシア vergina greece
ヴェルギナの街並とマケドニア平原

フィリッポス2世の暗殺の背景には様々な憶測があります。
いずれも衝撃的で興味が尽きませんが、マケドニア王国をギリシア随一の国家に押し上げた英雄の劇的最期がこの地で繰り広げられたのです。

次はアレクサンドロス大王が王位継承の後、トラキア征伐に出かけます。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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