alexander’s journey lycian coastal path turkey アレクサンドロス大王の東征
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てインドにいたる旅を21世紀に歩きます
前334~333年の冬
「アレクサンドロス大王東征記」では、ファセリスを後にして軍の一部を山地帯へ向かわせて、『彼自身は手勢をひきいて海岸を磯づたいに進んだが、ここでは北風が吹くとき以外には、通れる道さえもなかった。南風が吹きつのるときは、磯づたいにここを行くのは不可能』とあります。
ファセリスから北上し、現ケメルを過ぎると、西に迫っていた山塊が急に海側にせり出して、海浜というより断崖といった方がよさそうな難所が連続します。
現在は中腹に舗装路が通っていますが、相変わらず落石の危険が付きまといます。
私が訪れた時期はいずれも5月で、青々とした穏やかな地中海が映えていました。
しかし真冬の荒れた地中海を想定すると、車で通るのも憚られるような地形です。
ファセリスから険しい海岸道はおよそ40~50kmで、歩行であれば少なくとも丸一日の行程です。
足元を荒波洗う危険なルートを、なぜわざわざ選んで、運試しのようなことをしたのでしょうか?
「東征記」は以下のように続きます。『そのときたまたま南からのはげしい風のあとに、北風が吹き起った。そのことはアレクサンドロス自身も部下たちもが、当時そう解釈したように、まさしく天祐なきにしもあらずだったわけだが、ともかくそのおかげで彼らは難なく、すみやかにこの難所の通り抜けができたのだった』
アレクサンドロス大王は時に理知的で、時に無鉄砲で、また奇異な行動をすることがあります。
いずれにしても長所と短所の振幅が異常に大きな人物です。
しかも運試しがとても好きなようです。
東征から10年。短いようですが、彼の東征での経験と実績を数えあげるなら、途方もなく濃密な人生だったことに間違いありません。
これもまた、アレクサンドロスの異常性を含んだ情熱が原動力となって、しかも10年という天祐が成し遂げた奇跡といえます。
余談ですが、東征記には登場しませんが、この難所を抜けた大都市アンタルヤは、巨大なビーチリゾートを備えた風光明媚な町で、リュキア旅の垢を落とすにはもってこいです。
写真を少し貼っておきます。
次は巨大遺跡アスペンドスに向かいます。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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