10.ゲリボル半島 ダーダネルス海峡横断 トルコ

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey dardanelles turkey アレクサンドロス大王の旅

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます

前334年5月。アレクサンドロス大王のマケドニア軍本隊はケルソネソス半島(現ゲリボル半島)のセストス(現エジェアバト)からアジア側のアピュドス(現チャナッカレ)に渡っています。

この本隊を率いるのは老将軍パルメニオンでした。
パルメニオンは父ピリッポス2世の右腕で、父亡き後は若き大王の良きアドバイザーでした。
本隊は160隻の三段橈船と、多くの輸送船で構成され、さぞかし壮観だったと思います。
三段橈船とは上下段にオールの列を並べ、多数の漕ぎ手を擁した古代の大型軍用船です。

ゲリボル伊半島 ダーダネルス海峡 地図
赤丸はイスタンブール 青丸が上から右回りにエジェアバト、チャナッカレ、トロイ、セッドゥバヒル
①側がアレクサンドロスのルート、②側がパルメニオン本隊のルート

一方、大王は小隊を率いて、半島の最南端エライウス(現セッドゥバヒル)を目指しました。
セッドゥバヒルの対岸
アジア側には「トロイの木馬」で有名なトロイ遺跡があり、ここは伝説のヒーローであるアキレウスが活躍した場所です。

ダーダネルス海峡 タンカー 漁船
ゲリボル半島先端 セッドゥバヒル ダーダネルス海洋

セッドゥバヒルはエジェアバトから約30km、車で半時間ほどの距離です。
小さな村ですが、半島の突端に位置するため眺めは抜群です。
すでにお伝えしたように、重要な国際航路であるため領有争いが絶えることがなく、第1次世界大戦でも英仏連合軍が占領を目指して多数の人命が失われています。
そうした砦の遺構や記念碑が付近に残っており、のどかな風景に似つかわしくない負の遺産を纏っています。

ゲリボル半島先端 セッドゥバヒル付近の要塞跡 手前はヨーロッパ、対岸はアジア

大王はこの半島先端から小隊で舟に乗り込み、自ら舵を取ってトロイの海岸に向かったといいます。
残念ながら現在はここを渡る手段が無いので、パルメニオン本隊のルートで海峡を渡ります。

ゲリボル半島 先端部セッドゥバヒル アジア側遠望
ゲリボル半島の先端セッドゥバヒル 画面奥にダーダネルス海峡とアジア側が見える

エジェアバトの南にオスマントルコの要塞キルトバヒルがあります。ゲリボル半島の数少ない観光地のひとつです。
ここは海峡が最も狭い地点で、カーフェリーの渡し場になっています。チャナッカレまでの航路は2km弱で、乗船時間もわずか15分ほど。運行間隔も30分と短く、ピストン状態で往復しています。

ダーダネルス海峡 キルトバヒル要塞
ダーダネルス海峡とキルトバヒル要塞 対岸はアジア 

今では簡単に渡れるのですが、実は黒海とエーゲ海には著しい干満差があり、くわえて海峡が狭いため激しい海流が流れており、昔はかなり危険な場所だったようです。

ゲリボル半島 エジェアバト 要塞キルト場昼 オスマントルコ
エジェアバトの要塞キルトバヒル オスマントルコ時代の遺産

フェリーの運行は意外にも過密で車両や人も多く、船員たちは目まぐるしく働いています。乗降ゲートを折りたたむ間もなく出港して、見る見るうちに対岸のチャナッカレが目前に迫り、本当に慌ただしい航海です。

ダーダネルス海峡 エジェアバト フェリー乗り場
ゲリボル半島 ダーダネルス海峡のフェリー乗り場 フェリーに乗り込む車

実は投稿に当たっての再チェックで知ったのですが、なんと2022年に海峡に巨大な吊り橋が架けられて、ヨーロッパとアジアが地続きになっていました。
北のボスポラス海峡にはすでに複数の橋が架かっていたのですが、この田舎の立派な橋に本当に驚きました。

ダーダネルス海峡 フェリー 操舵室
ダーダネルス海峡 フェリー操舵室

次回から、いよいよアジアの旅です。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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