13.サルディス ペルシア帝国の西都 トルコ

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey sardis turkey アレクサンドロス大王の旅

前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
ギリシアからインドにいたる旅を21世紀に歩きます

ペルシア軍との初戦「グラニコスの戦い」で快勝したギリシア軍。

次はペルシアの西都サルディスを目指します。

トルコ地図 アナトリア西部とマルマラ海付近
がイスタンブール ●がトロイ、グラニコス川、当時のペルシアの西都サルディス

所要日数の記録は残っていませんが、グラニコスから山間を南下、約270kmにサルディスは位置しています。

グラニコス大勝利の噂はすでに伝わり、サルディスは砦や財貨をすべて献上、いわゆる無血開城でした。

サルディス トルコ sardis turkey
山間のサルディス遺跡 古代リュディアの首都であり、後にペルシア帝国の西都となった

サルディスは、小アジア西端のリゾート都市イズミールから内陸に入った田舎町サリヒリの近くにあります。

たいへん古い都で、紀元前8~6世紀に栄えたリュディア王国の首都でした。

その最後の王クロイソスは、ヘロドトスの「歴史」に描かれた有名人物です。

クロイソスがペルシアに敗れた後も、小アジア支配の中心としてペルシアに維持され、エーゲ海諸都市と小アジア奥地を結ぶ要衝として栄えつづけました。

ペルシアは「王の道」という有名な交通網で世界各地を結びましたが、サルディスは西の軍事拠点でした。

サルディス アルテミス神殿 トルコ sardis artemis temple turkey
サルディス遺跡 アルテミス神殿 巨石柱

小アジアのエーゲ海沿岸にはイズミールはじめ多数の海浜リゾートが密集しており、内陸の地味な遺跡を訪れる観光客は稀です。

くわえて幹線道から逸れており目立つ案内標識もないので、気まぐれ客など相手にもしない、まさに「一言さんお断り」的な遺跡です。

遺跡へは2回訪れましたが、いつも観光客は皆無。

地元の羊飼いが仕事中に腰を下ろして休んでいました。

でもその佇まいが遺跡好きにはたまりません。たっぷり古代ロマンに浸れます。

サルディス アルテミス神殿 トルコ sardis artemis temple turkey
サルディス遺跡 アルテミス神殿 巨石柱


遺跡内はほとんど瓦礫状態ですが、中心にアルテミス神殿の巨石列柱がドーンと並び見ごたえあります。

遠目にはサイズが分からないのですが、近くに寄ると存外な大きさに圧倒されます。

苔むして黒ずんだ石肌もなかなか味わいを見せています。

サルディス アルテミス神殿 トルコ sardis artemis temple turkey
サルディス遺跡 アルテミス神殿 巨石柱

辺りの山々も深い緑に包まれ、風がなければ完全な静寂です。

遺跡の石材に腰を下ろしていると、心が澄みわたるような感じがします。

サルディス アルテミス神殿 トルコ sardis artemis temple turkey
サルディス遺跡 アルテミス神殿 巨石柱

さてサルディス観光には意外な付録がありました。なんと温泉です。

遺跡からサリヒリに戻り、南の山奥に入ると狭い谷間に温泉地があります。しかも観光化したものではなく、地元民が利用する自炊キッチン付きのコンドミニアム型です。

サリヒリの秘湯 コンドミニアム式の個室に源泉かけ流しの大きな家族風呂がある


白状すると、2回目のサルディス訪問はほとんど温泉目当てでした。

海浜の明るいエーゲ海リゾートも良いのですが、それに飽きた頃の山の温泉は格別です。

水着の大浴場もありますが、部屋にも大きな浴槽があって、なんと源泉かけ流しです。

「この贅沢を日本で味わうと幾らかかるのかな?」などと小心者は思います。

次はエフェス、明るい海浜の洗練された遺跡に向かいます。

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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

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