大ジンバブエ遺跡 1 黒人王国の栄光 ジンバブエ

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大ジンバブエは南部アフリカ最大の都市遺跡で、謎に満ちた黒人王国の石造建築群です。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

国名「ジンバブエ」も民族・歴史の象徴である大ジンバブエにちなんで、1980年の独立の際に名付けられました。ジンバブエとは現地語で「石の家」という意味です。

大ジンバブエ ジンバブエ地図 Great Zimbabwe map
大ジンバブエ ジンバブエ地図 Great Zimbabwe map

地図はジンバブエの首都ハラレ、南アフリカの首都プレトリア。●が大ジンバブエ遺跡の場所

簡潔なユネスコの紹介記事を引用、補足します。(和文英文頁混在)
『大ジンバブエは、伝説によるとシバの女王の首都であったというが、実は11~15世紀に栄えたショナ族の文化を伝える巨大遺跡である。遺構は大きく三つに分けられ、丘の上の「アクロポリス」、「谷の遺跡」と呼ばれる住居跡、壮大な外壁で囲まれた「大神殿」がある。広大な敷地は約80ヘクタールで、中世以来有名な貿易の中心地であった』

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

遺跡の歴史文化についての詳細は、紙幅の都合上専門サイトに譲り、ここでは写真中心に現地の印象に交えて紹介いたします。

大神殿 Great Enclosure
都市の中で最大の建造物で、英名を直訳すると「大囲壁」ですが、和名では「大神殿」と呼んでいます。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

正面に立つと、とにかく呆れかえるほどの大きさに圧倒されます。それもそのはず、俯瞰すると、長径が100m、短径80m、全周長は250mという巨大な楕円形の建築で、ほぼサッカー場に匹敵するサイズです。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

上:アクロポリスの丘から見る大神殿 100m×80mの楕円形で、サッカー場の大きさ

しかも石壁の高さは11m、基底部の壁厚が6ⅿという途方もない重量感が視界に迫ってきます。石壁は上等な花崗岩ブロックを上下段ずらした構造で、他に類を見ない緻密さと美しさを見せています。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

恐々入口を入ると、広々とした敷地に石碑状の立石と内部構造の基壇が残っており、往時の手の込んだ設計が推察されます。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 内部 Great Zimbabwe Great Enclosure

なによりも驚くのが、東側の内部に設けられた長さ55mの内壁です。これは外壁とほぼ同じ高さで平行して建っており、たいへん狭い通路を形成しています。

それはどこでも見たことのない不思議な小径です。最も狭い箇所は幅約1mほどですから、両壁が異様な閉塞感を生み出して進み入ることさえ憚れます。この通路は英語で「Parallel Passage」、「平行路」と呼ばれています。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

辛抱強く不思議な道を進むと、終着点に直径5m、高さ10mの円錐形の塔が鎮座しています。塔は「Conical Tower」、「円錐塔」と呼ばれています。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

上:Parallel Passage の終着点Conical Tower「円錐塔」 

円錐塔がどのような目的を持つのか不明ですが、おそらく宗教的な聖所であることは一目瞭然です。平行路を参道と考えるなら、分かり易い聖域の構造ではないでしょうか。敢えて憶測を膨らませるなら、円錐塔はインドのリンガ信仰、すなわち男根崇拝の影響はないでしょうか?

実は大ジンバブエでは中国の陶器片なども出土しており、インド洋交易を舞台にアラブ、インド、そして中国の品々が到来しています。したがってインド文化の影響も、十分考えられると思います。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure

一説では、大神殿は王族女性の住居であったといわれています。大囲壁の内部に複数の小円形構造(小部屋?)が配置されているからです。

やはり憶測ですが、大神殿が王のハーレムであったとしたら、いかがでしょうか?
重厚な石壁で守られた王妃たちの世界、そして子孫繁栄の男根崇拝のシンボルである円錐塔。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿に続く通路 Great Zimbabwe Great Enclosure

素人の妄想は、拾い集めた断片的な知識を紡いで自由奔放に膨らみます。
これも未解明の遺跡歩きの楽しみです。

シバの女王
先述のユネスコ評で「シバの女王」の話がありました。それは大ジンバブエを最初に知った西洋人が、根拠もなく「ソロモン王を訪れたシバの女王の首都」であると信じたことから始まります。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 花崗岩のブロック Great Zimbabwe Great Enclosure

その誤謬を信じた探検家がアクロポリスを「ソロモン神殿の模倣」、大神殿を「シバの女王がエルサレムで暮らした神殿の模倣」と考え、古代フェニキア人かユダヤ人が築いた遺跡であると報告したのです。

欧米以外に先進文化を認めない白人至上主義の弊害が見られます。このような無理解や押し付けはアフリカ各地(否、世界中)にあって、ほんとうに辟易とさせられます。

大ジンバブエ 大神殿 Great Zimbabwe Great Enclosure
大ジンバブエ 大神殿 奥にアクロポリス Great Zimbabwe Great Enclosure

広大な遺跡ゆえ、中途で紙幅を費やしてしまいました。第2部(next)に大ジンバブエの紹介を続けます。

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