alexander’s journey istanbul turkey アレクサンドロス大王の旅
紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出ました
ギリシアから中東、エジプトを巡り、中央アジアやインドにいたる旅です
その旅を21世紀に復元、彼が見た風景を探します
前334年春、アレクサンドロス大王とマケドニア軍は、ペルシア討伐の遠征に出発しました。出発時の総兵力は騎兵隊が5100騎、歩兵隊が32000人に及んだと伝わっています。
3日後にアンピポリスに到着、ギリシア艦隊とギリシア同盟軍が合流します。アンピポリスはストリュモン川河口にあるギリシア都市です。そこからさらに東に向かい、出発から20日後にケルソネソス半島(以降、現ゲリボル半島)のセストス(現エジェアバト)に到着しました。出発地ディオンからおよそ500kmの行軍です。
さてゲリボル半島はトルコ領なので、ギリシアのレンタカーを持ち込めません。この旅では国境越えのため、一旦ギリシア(テッサロニキ)から鉄道でトルコ(イスタンブール)に移動して、車を再手配することにしました。移動距離は600kmほどですが意外に時間がかかります。
7:00テッサロニキ発 14:30国境着 15:30国境乗り換え発 21:30イスタンブール着
ギリシア~トルコの鉄道旅は利用者が少なく、直行の国際列車もありません。
余談ですが、ギリシアとトルコは宗教の違いや、ペルシア戦争からオスマントルコ時代までの歴史的な確執があって、たいへん仲の悪い隣国同士です。ですから陸路の国境越えでは、双方ともに「あっちはコレラが流行っているから行かないほうがいいぞ」などと嘘の言い合いに遭遇します。ここに限らず仲の悪い隣国同士は、どこでもなぜか「コレラ大流行」で苦笑します。
華の都イスタンブールは紀元前7世紀からの歴史を持ち、大王の父ピリッポス2世も攻めたことがあります。画面のボスポラス海峡を左手に進めば黒海、そしてドナウ川をドイツまで遡ることができ、右に進めばマルマラ海、ダーダネルス海峡を経てエーゲ海へつながります。
イスタンブールはたいへん古い町ですが、アレクサンドロは立ち寄っていません。勝手な推測ですが、おそらくペルシアの勢力が強すぎて、俄か仕立てのギリシア軍はこの重要な街を避けたのではないでしょうか。
ただイスタンブールの博物館には大王関係の重要遺物があります。
ひとつは現レバノンのシドンから出土した「アレクサンドロスの石棺」です。その部分図を本サイトのロゴに使っています。
もう一点は、ローマ時代の「アレクサンドロス大王像」です。いかにもローマ彫刻といった感じで、大王が見事なイケメンに仕立てられています。おそらく実物はアテネ博物館の頭像が正解のような気がしますが。。。
イスタンブールから車を手配して再出発します。混雑した大都会イスタンブールから、逆戻りに西に走ること約3時間、ゲリボル半島の付け根に到着します。
ゲリボル半島はヨーロッパ東端に位置する南北約100km、幅6~21kmの細長い半島です。地図を俯瞰すると、黒海からボスポラス海峡を経てマルマラ海に続き、南西のダーダネルス海峡を通過するとエーゲ海に出ます。
ダーダネルス海峡もボスポラス海峡と同じくヨーロッパとアジアの境界になっています。古代ペルシア戦争で、ギリシアが独立を守ることができた理由に、この2海峡が天然濠としての役割を果たしたことも見逃せません。
ゲリボル半島はこの壮大な水路の西岸であり、海路をにらむ軍事要衝として古くから重要な場所でした。
観光資源の少ないゲリボル半島ですが、のどかな田園や丘の連続は良き想定外の美観で得した気分です。ダーダネルス海峡に近づくと道は海峡側を走り、左手にアジアを見ながら南下します。狭い海峡ですが、タンカーなどの大型船も多く、国際航路としての重要性を直に感じます。
海景を楽しむこと約1時間、エジェアバト(次回)に到着します。半島では最大の町ですが、古臭い港町といった風情です。
次はアレクサンドロスのヨーロッパ最終地、ゲリボル半島の先端です。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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