alexander’s journey sagalassos turkey
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てインドにいたる旅を21世紀に歩きます
前334~333年の冬
難攻不落のテルメッソス城攻略をスルーしたマケドニア軍は、アナトリア高原をさらに奥へと北上してサガラッソスに進軍します。
サガラッソスとはアンタルヤの北90kmの、タウロス山系の奥深くにある山城です。東征記は『住民は未開のピシディア人で、そのなかでも最も戦闘的な連中である』と伝えています。
ピシディアPisidia:小アジア南部のアナトリア高原にある古代地名。山岳が多く粗暴な山岳民が住み、神政的な小王国が成立していた。
戦闘が始まると、マケドニアの重装歩兵に対して敵は裸同然で立ち向かってきましたが、むろん重装備で百戦錬磨のマケドニア軍に勝てるわけもなく、『四方八方から手傷を負わされ斃れ(倒され死ね)、やがて遁走した』と記され、およそ500人のピシディア人が死んだと記されています。
前記事テルメッソスと同じく、サガラッソスも深い山の城塞都市で、2005年に訪れたときは場所探しにたいへん難航した記憶があります。
当時は旅の予備調査におけるネット情報が乏しく、場所特定のための有用なGPSや座標データも無かったため、一般旅行でのGPS利用が普及していませんでした。
したがって旅のスタイルの従前どおり、地図を頼りに車を走らせて、地元の人々に尋ね歩き、少しずつ目的地に近づくしかありませんでした。しかし当時のサガラッソスは観光地として開発されておらず、呆れたことに近隣住民さへも知らないような場所でした。
やっとの思いでたどり着いた辺鄙な遺跡はまるで忘れ去られた場所で、管理人はおろか入場料の徴収もない瓦礫のような荒れ地でした。もちろん「朽ちた古代遺跡」としての魅力は抜群で、一人で古代ロマンに浸るには最高の場所であったことは言うまでもありません。
本記事の作成に際して(2024年現在)、英語でSagalassosを検索すると、古い記憶とはまるで異なり、よく整備された遺跡の写真がネット上に溢れています。しかも2009年には世界遺産の暫定リストに加えられており、ユネスコのサイトにも登場しています。
実は数度に及ぶトルコ訪問は、訪れる度に道路や街並などの発展ぶりに驚かされてたのですが、おそらくサガラッソスもそのように観光化、整備を受けたに違いありません。この20年近い歳月は、発展著しいトルコにあってすべてが真新しく更新されています。
むろん開発とか発展という言葉の背後には、ときに様々な問題を孕んでいることもあります。しかし「失われた30年」などといわれる日本は、傷んだまま放置された道路や、廃屋が散見される田舎の風景が当たり前になっており、、このように変化を続ける勢いある新興国を目の当たりにすると、やはり複雑な思いになります。
次はいよいよアナトリアの名跡ゴルディオンに向かいます。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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