2. テッサロニキ ギリシア

alexander アレクサンドロス大王

alexander’s journey thessaloniki greece アレクサンドロス大王の

紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシアの討伐に出発。
ギリシアから中東、エジプトを巡り、中央アジアやインドにいたる旅です。
その旅を21世紀に復元、彼が見た風景を探します。

アレクサンドロス大王 シドンの石棺

古代マケドニアの旅」の基地、テッサロニキを訪れます。

テッサロニキの中心街 明るい港湾都市

テッサロニキ(下地図参照)はアテネに継ぐ第2の大都市で、エーゲ海の北西にあるテルメ湾の奥に開けています。
古来陸海の交通要衝として栄え、現在も商業工業の中心地として賑わっています。

アレクサンドロス大王の故郷へはこの町が起点になります。
ただ残念なことにテッサロニキの起源は大王の後のローマ時代で、市内には大王関連の遺物はありません。

ローマ時代の遺構群

市内にはローマ時代に栄えたビサンチン文化の建造物が多く残っており、風光明媚な海浜街とあいまって意外に楽しい町歩きです。

市内の世界遺産 ローマ時代の教会

さて大王の母国である「古代マケドニア王国」は、現在のギリシア北部を中心に隣国の北マケドニアやブルガリアの一部を含む地域に広がっています。

しかし「マケドニア」という地名には、複雑さがあるのでいったん少し整理しましょう。

アレクサンドロス大王の枕詞として「マケドニアの」とされることが多く見られます。

「マケドニア王国」と「古代マケドニア」はいずれも同じで、「古代マケドニア王国」をさしています。

古代マケドニアの勢力圏 青い地域  赤印はテッサロニキとアテネ

古代マケドニア王国は紀元前7~2世紀に栄えた国で、当時は現在の国境を跨いで広がっていました。

ややこしいことに現在の隣国「北マケドニア」は1991年に旧ユーゴスラビアから独立する際に、自らを「マケドニア」と名乗ったため、その国名に関してギリシアと長らく係争が続いていました。

ギリシア側の言い分としては、古代マケドニアの面積半分は現ギリシア領内であり、大王の故郷はじめ歴史的に重要な場所もすべてギリシア国内に位置しており、「マケドニア=ギリシア」というわけです

近年はこれに配慮して隣国を「北マケドニア」と呼ぶことになったようですが、いずれにしても古代マケドニアの中心はギリシア北部と考えてよいでしょう。

次はいよいよ大王の生誕地ペラへ向かいます。

| next | pagetop | home | previous |

参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス

当Webサイトに掲載された文章や画像の無断転載を禁止いたします。

コメント