alexander’s journey aspendos turkey アレクサンドロス大王の東征
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
ギリシアからインドにいたる旅を21世紀に歩きます
前334~333年の冬
危険なリュキアの海岸を無事通過したマケドニア軍はアスペンドスに向かいました。アスペンドスは現在の中心都市であるアンタルヤから東約40kmにある都市です。
途中、全権をゆだねられたアスペンドスの使者たちに出会い、無血開城の申し出を受けました。
そのまま大王一行は東進してシデに向かいましたが、引き返す途中でアスペンドス開城の約束反故を知ってすぐに軍を進めました。
一時は籠城の準備をしたアスペンドスですが、大王自らの進攻に恐れをなして、町を捨てて裏手の丘に逃げ込んだといいます。結局アスペンドスの約束反故は、初めの取り決めよりずいぶん高い代償となったようです。
現在のアスペンドスは、大王の時代よりローマ遺跡が目立っています。
なかでも圧巻の大劇場は、遺跡の駐車場に到着するなり、視界に大きく立ちふさがっています。
それもそのはず幅(半円形の直径)が96m、高さが22mというとてつもない大きさです。
紀元2世紀にローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが建てたものですが、保存状態が非常に良くて、当時の建築技術の高さを直に見ることができます。
建設当時は7000人を収容したといいますが、保存状態の良さから現在も運用されており、近年の催し物では20000人ほど収容できたそうです。
これだけの大きさですから撮影ポイントがいくらでもあって、観客席の最上段に登ったり、逆に舞台に降りたりとなかなかたいへんです。歩けば歩くほど、ファインダーを覗けば覗くほど違うアングルが見えるので、無我夢中、結局疲れ果てるまで歩き回ることになります。
大劇場で疲れ果てたら、北西に続く小道を300mほど進み、旧都の中心部に向かいます。ここはいかにも遺跡っぽい荒地で、「夏草や兵どもが夢の跡」の気配に満ちています。
草ぼうぼうの小道を辿ると、突然、崩れた石造建築が現れて足を止めます。
シャッターチャンスですね。
アスペンドスはこれだけの規模にもかかわらず、歴史的に重要な都市ではありませんでした。
古くは西のリュキアの勢力下にあり、その後はペルシアの影響下にあって、アレクサンドロスの後はローマの支配下にありました。
しかし遺跡好きなら、大満足間違いなしの優良物件です。
次は地中海の美しい遺跡半島シデに向かいます。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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