alexander’s journey phaselis turkey アレクサンドロス大王の東征
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます
前334~333年の冬
マケドニア軍は海浜都市ファセリス(パセリス)に進みます。
「東征記」によれば、進軍の前に『パセリス人の使者たちが友好関係を求め、また彼に黄金の冠を捧呈しようと、アレクサンドロスのもとにやってきた』と記録されています。
ファセリスの到着すると、『ピシディア人がこの地域一帯を威圧するために築いていた堅固な砦を、市民と協力して奪い取った』と記載があります。
ピシディア人はペルシアに味方するリュキア北縁の蛮族であり、ファセリス市民はマケドニア軍の進軍を歓迎していたようです。
またファセリス滞在中にはアレクサンドロス大王の暗殺計画が発覚して、占いのために前々回のテルメッソス(フェティエ)の占い師が呼び出されたようです。
先の地図のように、ファセリスは地中海に突き出たリュキア地方の東側にあり、背後には険しい山地が迫っています。資料によると『前690年頃にロドス人がリュキア地方の東部に建設した植民都市。3つの良港を持って海上交易で栄えた』とあります。【「図説アレクサンドロス大王」 森谷公俊著】
上図:ABCが三つの港 D~Gが旧都中心部
遺跡の主要部は、南東に突き出した幅400mほどの小さな岬の中央に位置し、先述の3港である北港、中央港、南港も現存しています。これらは美しい弧を描くビーチとして、人々の憩いの場となっています。
前回まで圧巻のリュキア遺跡を見てきたので、この小さなギリシア遺跡の地味さはぬぐえませんが、海浜という立地は「遺跡散策付きのビーチリゾート」といった風情で、長旅の休息地としては良い場所かもしれません。
近郊の町村には洒落たペンションが多く、ベランダから美しい地中海を眺められ、片田舎ならではのコ・ス・パの良さも嬉しい点です。
松林が並ぶ遺跡中心の石畳では、ネコがのんびり休んでいて、少しだけ旅人の退屈しのぎに付き合ってくれました。
次はリュキア最大の難所を越えて、アンタルヤに向かいます。
| next | pagetop | home | previous |
参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
当Webサイトに掲載された文章や画像の無断転載を禁止いたします。