Travel Mongolia Shaman
モンゴルの秘境で「本物のシャマン」に会いました。

短い挨拶を終えると、男性は1~1.5秒ぐらいの間隔で「フュッ、フュッ」と小さな呼気を立てて、心を整え意識を集中します。以前に読んだ「トランス状態への移行」のひとつに呼吸があったことを思い出し、これから始まる「異界の旅」に空気が張りつめます。

ここはモンゴルの最北部フブスグル県、ロシア国境近くのダルハド族(Darkhad)の孤高の大地です。


県名にもなった美しいフブスブルグ湖の西岸に連なる山脈の裏に位置するダルハド盆地は、すぐ近くまで亜寒帯林帯タイガ(Taiga)がロシア国境を越えて続いており、3月とはいえすべてが凍てついた氷の世界です。

男性は先祖から9代目となるシャマン・マスターで、人里離れた谷間の一軒家に妻と二人で暮らしています。世界的に有名な「シャマン」は、そもそもロシアの狩猟遊牧民の「サマン」が原語ですから、同じ文化圏のダルハド族もまさに「本家筋」にあたります。

周知のように、冒頭の「トランス」とは「変性意識」と訳されますが、ほかに「忘我、脱魂、神がかり」ともいわれ、この超常意識のなかで諸霊と交信するのがシャマンで、個人に対して運命的に授けられた特殊な能力です。
彼の話では、ある時突然に先祖霊に指名されたそうです。今回の儀式に付き添う介添人は二人とも彼の息子ですが、いずれもシャマンではないそうで、彼らは「まだ先祖霊に指名されておらず、将来も指名されるか否かも不明」だと話します。

ちなみに英語由来の「shaman/シャーマン」という長音記号付きの発音は、アクセント位置も含めて誤りで、原語はもちろん他の欧州語でも「シャマン/シャマーン」と「maマ」にアクセントがあります。ここでもそれに習い「シャマン」と呼ぶことにします。

前置きが長くなりましたが、シャマンの独特の呼気が続くなか、介添人は鹿皮のブーツを準備して、それをタイムの小枝を燻した煙で除霊します。

シャマンは除霊したブーツの開口部に鼻と口を当てて、嗅ぐような仕草でさらに精神を集中させます。その後、介添人は二人がかりで彼のブーツを履き替えさせます。

次に介添人は、青色を基調とした簾のような外套(ネット検索で見られる代表的な衣装)を、やはりタイム煙で除霊して手際よく着替えさせます。もちろん着替え前にシャマンは鼻と口を当てて嗅ぐような仕草をします。
この間、一連の所作はよどみなく続き、最後にシャマンは頭頂に羽根の飾り、そして衣装と同じ青基調の簾が下がった仮面を被せられ、衣替えが完了します。

専門書によると、この地域の類似する衣装は、強い霊力を持つワシミミズクを模しているといいます。あいにくダルハド族のケースは不明ですが、もしそうであれば、シャマンが異世界で遭遇する危険な霊から、彼個人が特定されることを防ぐためだといいます。

さてこの段階になるとすでにシャマンの意識は変容しているようで、初めの挨拶で見せた穏やかな気配は微塵も感じられず、確かに何かに取り憑かれているようです。

さらに儀式は続き、シャマンは鹿皮を張った太鼓を渡されて、不思議な形状の撥(ばち)で叩き始めます。この太鼓には目的とする霊を呼び寄せる役目と、同時に集まった危険な霊を威嚇する能力を持っているそうです。
太鼓を打ち鳴らすシャマンは完全なトランス状態にあり、立っていることさえままならず、明らかに別の意識でコントールされています。これは、ときに自傷行為などに及ぶ危険を伴うため、介添人たちは片時も離れず支え、やがて彼を座らせて安全を確保します。

彼は着座後もしばらく太鼓をたたき、忘我のなか「霊との交信」を行います。その圧倒的なオーラに、室内ごと異界に放り込まれたようで、まさに空間そのものがパワースポットと化しています。

やがて頃合いを見た介添人たちは、初めの順番と逆に、つまりマスク、衣装、ブーツの順に脱がせて着替えをさせます。
儀式装束がすべて除かれても、彼の瞳は血走っており、まるで焦点が定まっていません。資料の記述では、「トランス状態の疲労は計り知れず、復帰後も精魂尽き果ててしまう」とあります。

一般に「シャマン」は日本語辞書に「呪術師」と書かれ、きわめて不適切な言葉で言うなら「霊媒師」ですが、実は全世界、時代を超えてその存在が認められます。実際、当サイトでもアフリカのシャマニズムを、古代岩絵にて紹介してきました。
これだけのボリュームを持つ「シャマニズム」ゆえに、その区分も幾通りもありますが、分かり易い違いから「脱魂型」と「憑依型」に分けてみます。

上写真:脱魂したシャマンは、動物などに化身して、岩表面の天然腐蝕部分を異界への出入口とする
「脱魂型」は先述アフリカ岩絵のように、遊離した自己の霊魂を飛翔させたり、岩面や地面に進入して、異界の霊との交信をします。
他方「憑依型」はまさに青森の下北半島にある恐山のイタコ(死霊の口寄せをする巫女)で、自らの精神に死者の霊を招き入れて、霊の思いを代弁する形態です。

ダルハド族のシャマンは後者の憑依型であり、先祖霊が憑依します。彼はその霊力を借りて依頼者の病気治癒や占いを行い、まさに社会的使命をもって、危険なトランス状態に踏み込んでゆくのです。

シャマニズムといえば、怪しげな未開の信仰のようなイメージが付きまといます。しかし先入観を捨てて見直すと、その要素はメジャーな宗教にも内在されていることに気づきます。顕著な例として、それら宗教の開祖や預言者たちも、実は「神がかり」によって経典を授けられ、読み、語り、それを起点として教義が形成されてきました。

しかもその経典を探索すると、必ず「聖霊や神格との会話シーン」が登場します。
いかがでしょうか?
シャマンは、我々の遺伝子レベルに組み込まれた記憶ではないのでしょうか?

協力:独立行政法人 国際協力機構(JICA)
*この取材は、JICA様「モンゴルの観光およびJICA事業の広報」として行われました。
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