travel palau ruin ked/terrace/earthwork
南の小島に、未知の遺跡があります。
太平洋、ミクロネシアのパラオ共和国。誰もが聞き覚えのある南国ですが、意外なことにこの島国に謎の大型遺跡が点在しています。
しかもまったく正体不明、もちろん歴史的な背景も分かっていません。その威容を紹介しますので、ぜひ古代の謎解きに参加してください。
フィリピンの東約900kmの洋上に浮かぶパラオ共和国は、大小380余の群島国家で総人口が2万人にも満たない小さな国です。
戦前は日本統治領だったので、旧日本の遺構や戦争の跡も点在しています。今でも片言の日本語が使われており、街歩きをすると南方系の顔立ちのなかに、和風の面立ちを見つけてハッとすることがあります。
パラオの総面積は東京23区の7割ほどですが、最大のバベルダオブ島がその7割強を占めています。サンゴ礁島が多いパラオでバベルダオブは唯一の火山島であり、溶岩が造った険しい地形のために人口はわずか6000人で、島のほとんどはジャングルで覆われています。
謎の遺跡はこの密林に点在しています。資料によると100基前後あるそうですが、衛星画像では約20基が確認できました。
実際に現地で確認できたケズは10基ほどですが、テラス構造という共通点を除けば形はすべて異なり、単なる段々畑のようなものや、上部に小丘を備えた古墳型もあります。
遺跡は現地語で「ケズ(禿山)」と呼ばれ、英語名の「テラス/terrace」もよく使われています。後者が示すように遺跡は階段型テラスで、不定形ですが「階段ピラミッド」ともいえます。また現地語「禿山」が示すとおり、なぜかテラスには樹木が生えないので、これも謎の一つに数えられています。
16世紀にスペインがパラオを「発見」(というより、西洋が初めて知った)して以来、現在も同じ「パラオ人」が居住しています。このパラオ人の定義も不明瞭ですが、紙幅の都合で先に進めます。
このパラオ人の歴史は口承に頼るだけですが、パラオ人の「創世神話」でもケズは「存在」から始まっていて、造営にまつわる話は見つかりません。
いまだ乏しい学術調査ですが、パラオにおける生活痕は紀元前にさかのぼり、ケズの推定年代も2000~4000年前という数字が出ています。ただ当時の人々が現パラオ人であったか否かは不明で、ケズの造営はもっと古い先住民の可能性もありそうです。
ケズの目的もまるで分かっていません。
段々畑のようですが、畑ではないことは確かです。一部のケズは、最上部に円丘や四角丘を備えており、墳墓のようにも見えます。
簡単な発掘で土器類が出土しましたが、それらは後の時代に埋められた可能性もあります。繰り返しになりますが、密林にあって遺跡に木々が生えないことも不思議です。
結局調べても結論はないのですが、ただ一つ分かったことは、太平洋を自由に行き来した古代人の存在です。
太平洋の西縁は日本から琉球列島を経て、台湾、フィリピンへと島々が繋がっています。
上図「太平洋の道」 参照「発掘された小笠原の歴史」小笠原村教育委員会
実はもう一本、日本から伊豆諸島、小笠原諸島を経て、マリアナ諸島に繋がる海洋ルートがありました。これは「太平洋の道」と呼ぶそうです。
興味深いことに両ルートとも北端は日本で、南端にはパラオが位置している点です。
もしかすると、ケズにも古代海洋民族が関係しているのでは、と空想(妄想)が果てしなく広がります。
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