alexander’s journey tursus turkey アレクサンドロス大王の東征
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てインドにいたる旅を21世紀に歩きます

前333年夏。
カッパドキアを後にして、アレクサンドロスと軍はキリキア門に向かいました。キリキア門とは、地中海沿いに連なるタウロス山脈を横断する隘路で、両側に垂直な崖が迫る危険な難所です。

ペルシア側はこの天然関門を防御の要にしたのですが、アッリアノスは、『守備兵たちはアレクサンドロスみずから攻撃をかけてきたことを知り、持ち場を捨てていち早く遁走』と伝えます。しかもキリキア門通過の知らせを聞いたタルスス本隊も、大王に恐れをなして町を放棄して逃げ去りました。

タルスス(古代名タルソス)は地中海の東北端、トルコ第5位の都会アダナの西40kmに位置しています。華やかなアダナに比べると寂れた地方町といった感じですが、実はアレクサンドロスだけではなく、エジプトのクレオパトラや、キリスト教の聖人パウロに関わる歴史の舞台です。

上写真: ローマ時代の城門 エジプトから船で到着したクレオパトラが入城した?
絶世の美女クレオパトラは、遥かエジプトから訪れて、後に恋人となるローマ将軍アントニウスと出会いました。つまり悲劇物語の始まりの地でした。

またキリスト教発展の礎を築いた使徒パウロはタルスス生まれで、彼にまつわる遺構も多く残っています。むしろタルススを有名にしているのは、使徒パウロといっても良いでしょう。

上・下写真: 聖パウロを記念して19世紀に建てられた教会で、現在は記念博物館となっている。
この二人の有名な歴史人物は、いずれもアレクサンドロスより300余年も後の人なので、大王は知る由もなかったのですが、なにか不思議な歴史の因縁を思わせる町です。

あいにく大王にまつわる遺跡はありません。
しかし例によって無謀な大王は、大事件を引き起こしています。

上写真:当時、パウロが使ったといわれる古井戸
タルススの町中には古代名キュドノス川が流れているのですが、夏場のあまりの暑さに大王はいきなり飛び込んでしまいます。しかしタウロスの雪山から発した冷たい流れは、急激に大王の体温を奪い、痙攣を引き起こした上に高熱を発してしまったのです。

幸い同行の医師が処方した薬のおかげで、一命は取り留めましたが、回復まで2ヶ月も病床に臥せったようです。アレクサンドロスの若さ、軽率さを窺わせるエピソードのひとつです。
タルスス周辺を平定後、マケドニア軍は歴史的な合戦場であるイッソスに向けて進軍します。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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