alexander’s journey cappadocia turkey
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てインドにいたる旅を21世紀に歩きます
アンカラを後にしてマケドニア軍はカッパドキアに進みました。
カッパドキアに関する「東征記」の記述はごく短く、『彼(王)自身はさらにカッパドキアへと進軍して、ハリュス川のこちら側全域と、川向こうのかなりの土地を服属させた』と伝えるだけです。
しかし奇岩大地と古い洞窟教会で有名なカッパドキアは、まさにトルコを代表する世界遺産で、私も4回訪れています。せっかくですので、大王も見た可能性のある景色を紹介いたします。
カッパドキアは不思議な石柱群(キノコ岩)と、そこに穿たれた住居や石窟壁画教会で世界に知られています。しかしカッパドキアとはそもそもアナトリアの広大な地域の古代名であり、紀元前2千年紀のヒッタイト以降、様々な勢力の波が押し寄せた歴史的な舞台でした。
この広い地域を代表するのが、かつては小さな村に過ぎなかったギョレメで、天然の奇岩群と壁画教会を擁する観光の中心地になっています。
初めて訪れた1994年は、まさに「トルコの寒村」といった佇まいの場所で、村人たちは異邦人を優しく出迎えてくれました。しかし10年後の再訪時にはすでに大変身を遂げ、街道には華やかなレストランが並び、あげくに電飾眩しいディスコまで現れて爆音をまき散らしていたのです。
ちょうど世界的な世界遺産ブームが重なり、村には大量の観光客のみならず外から多くの労働者が転入して、穏やかだった村が観光という環境破壊に蝕まれたのです。以来カッパドキアの訪問では、興ざめなギョレメは避けて、いまだ静かな近郊の町に滞在しています。
上写真:広大な高原では古代と同じく優雅な農地が広がる。おそらくこの清々しい景色は、数千年も続いた人間の営みである
現カッパドキアは世界遺産地域だけでも100㎢もあり、まして古代カッパドキアの広さは測りようもありません。したがってマケドニア軍の立ち寄り先も全く見当もつきません。
ただアレクサンドロスによる制圧以降、ギリシアからの多くの移民よってギリシア化が進み、「カッパドキア」という地名もギリシア語のようです。
世界遺産の洞窟教会はアレクサンドロスより何百年も後の建築ですから、大王一行にとっては遠い未来の建築です。しかし各地に点在する天然の奇岩風景には、マケドニア軍も驚きをもって見物したに違いありません。
ここに代表的な写真をご紹介しますので、太古に思いを馳せてご覧ください。
さてマケドニア軍は、次に険しいタウロス山を越えて、地中海沿岸のタルススに進みます。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス
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