alexander’s journey lycian xanthos turkey アレクサンドロス大王の旅
前4世紀、アレクサンドロス大王はペルシア討伐に出発
中東を経てからインドにいたる旅を21世紀に歩きます
前334~333年の真冬
「アレクサンドロス大王東征記」には、『(マケドニア軍は)クサントス川を渡ってピナラ、クサントス市、パタラをはじめ、およそ30に上る小都市を占領した』と短い記述が残るだけです。
しかしクサントスは世界遺産に指定される重要なリュキア遺跡で、アクセスが少々不便ですが訪問する価値は十分あります。
クサントスとはギリシア語の地名で、リュキア語では「アリンナ」と呼ばれていました。
紀元前1200年頃に都市ができたといわれ、古代ヒッタイトの記録にも名前が見える古い町です。
遺跡は海岸から8kmほど内陸の、クサントス川(現エセン川)東岸の小さな丘の南に位置し、大劇場やアゴラなど公共建築が並んでいます。
まず最初に驚かされたのは、大劇場にある2棟の塔墓です。
初めてクサントスを訪れたときは、遺跡全体を眺望するため大劇場の客席の最上段に上がりました。
ここは劇場越しに、先述の小丘を背景として市街全域が視野に収まるビューポイントです。
劇場左手に気になる2棟の小塔が見えましたが、はじめは何の構造物なのか分かりませんでした。
劇場を降りて塔に向かうと次第にはっきりして、なんと最上部が石棺であることが分かります。
見たこともない形状なので、当初は墓であるとは思いもよりませんでした。
リュキア墓との初対面でした。
「塔墓」は、みなさんご存じかもしれません。ちなみに画像検索すると、立派な石塔が建つ日本の墓がヒットします。ついでに「tower tomb」で検索すると、もちろん海外の墓や遺跡がヒットします。しかし両者に共通するのは、塔型であっても墓室は地下にあるということです。
ですから石棺が上に載った塔墓は、かなり奇想天外な建築といえます。
勝手な推測ですが、死者のために劇場の特等席を用意した粋な計らいでしょうか?
劇場を離れて市街を歩くと、地上に置かれた重厚な石棺を見かけます。すべて巨石削り出しの、分厚く大きな棺です。想像をたくましくするなら、劇場の塔墓や市中の石棺は、日本の屋敷墓地に近いかもしれません。
さらなる圧巻が丘の東側の斜面に位置するネクロポリスです。日本でいえば霊園です。
ここには並外れて見事な石棺や岩窟墓、また2種類が融合した大型墓などがあります。
ネクロポリスは藪に覆われて、棘々の草木もあってワイルドな見学路ですが、次から次に現れる見事な巨石削り出しの石棺・岩窟墓に魅了されます。
「アレクサンドロスの旅」を始めた頃、初めてクサントス遺跡に導かれ、見たことのない光景に魅了されました。「アレクサンドロスの旅」は、こうして「隠れた一級品」に出会える旅でもあり、いつも新鮮です。
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参照「図説アレクサンドロス大王」森谷公俊 /鈴木革 「アレクサンドロス大王東征記」アッリアノス